平行時空冒険譚:確率都市 〜The Axis Hoppers〜

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0-2. 新人の不安

 この『世界』は一つではなく、『時間』は複数の分岐をなして伸びてゆく。
 つまり歴史が積み重なっていくにつれて時間線、俗な言い方をすれば『平行宇宙』も数が増えていくわけだ。
 あまり正確な説明ではないが、と苦笑気味に付け足したのは基礎講義の担当教官だっただろうか。
 目の前のスクリーンを見ながらそんな事を考え、アレックス・ファビウスは現実逃避していた。

 「結果はまあ、ご覧のとおり。早く昇進したい諸君には、保安部を志願することをお勧めする。ハイリスク・ハイリターン、最悪でも最後に二階級特進できる」

 にこやかに言い切った担当官の神経は、タングステンワイヤよりも頑丈だろう。説明を聞いている候補生から乾いた笑いがいくつか漏れたが、『各部局における観測官殉職数の比較』なんてタイトルの付いたグラフを表示されたのでは、まあ無理もない。
 殉職率が最も低いのは、観測部定点観測課。危険地帯に配属されない限り、無事に年金を受け取って老後を楽しむことが出来る。
 一方で保安部強制捜査課に配属された場合、半数近くが殉職する。
 ……それを解説したのがくだんの担当官で、つまるところひどいジョークセンスの持ち主だということだった。

 「さて、保安部について何か質問はあるかな」

 いささかのんびりした口調の担当官が身に付けているのは、保安部員に支給されるグレイの戦闘服だ。左胸にある金色の流星章は、強制捜査課A級観測官の印。
 時に武力を持って取締りを行なう強制捜査課において、観測官の役目は『いかなるときも』捜査官の目であり耳であり続けること。そしてこのモットーは往々にして、観測官達を遅すぎる防衛戦闘に導き、確実な死へとつなげてしまう。そんな、どうにも陰鬱な事を聞いたはずだったが、しかしこの担当官を見る限り、先ほどの話はなにやら悪質な冗談だったようにしか感じられなかった。
 身長は五フィート十インチかそこら(一七五センチといったところか、とアレックスは計算しなおした)で、戦闘服がしっくり馴染む程度には鍛えてあるが、筋骨隆々という表現は全くそぐわない。淡褐色の肌と黒髪黒瞳は極東の民のものだというが、大陸の民よりは彫りが深く、すると極東列島の住人だろう。

 剽悍尚武の民であるから正面から対決するのはよろしくない、しかし策略には弱いから謀を持って相手せよ。
かの国の人について、隣人たる大陸の民の賢者がかつてそう評したというが、しかしその観測官はどう頑張ってみても、剽悍尚武という言葉に見合った精悍さなど欠片も見当たらなかった。
 その印象の大半は、目じりがわずかに下がった顔に浮かぶ穏やかな表情のせいだろう。

 つまり、この担当官はとうてい、金流星章を持つ猛者には見えない。

 「保安部への志願と関連することなら、なんでもいいぞ」
 そう問う声はよく響くが、やっぱり迫力だのなんだのには縁が無い。
 どこか気の抜けた空気が流れ、一瞬の間をおいて手を上げたのは、アメリア・シモンズだった。
 「なんだ、シモンズ候補生」
 「配属後の配置転換について説明を受けておりませんが、退職まで所属部門の変更はないのでしょうか」
 「ああ、いい質問だね」

 担当官はにっこり微笑んで頷いた。

 「変更はある。観測官の場合、観測部・保安部・通商管理部の三部局いずれにも配置転換となりうるからね。たとえば私の場合、入局当時は本部研究班に在籍していたが、保安部捜査課を経て現在はご覧のとおり、強制捜査課員だ」
 室内が少しざわめいた。
 「あのう、それは良くある事なのですか?」
 配置転換。しかも保安部強制捜査課への。そんなものがあると聞けば当然、明日の配属希望書提出にどれだけの意味があるのかという疑問も沸く。
 東洋人は相変らずにこやかな顔を崩さず、
 「頻繁にある事ではないよ」
 と、なんでもない事のように言ってのけたところへ、
 「担当官殿」
 もう一人の手が上がった。
 「ガンザー候補生、なにかな」
 「は。保安部強制捜査課への異動は、希望によらないのでありますか」
 単刀直入に切り込んだのは、いかにもガンザーらしいことだった。
 なにしろ、呑気そうなこの担当官が最初に配属されたのは、博士号取得者だけに許可されたエリート用ポストだ。その彼でさえ強制捜査課に回されたというのであれば、どこに志願しても同じことではないのか。

 そんな不安が頭をよぎったのか、元軍人だというガンザーですら、表情が硬い。

 しかし担当官はわずかに苦笑し、首を横に振った。
 「前線勤務については、本人の志願なしに配属されることはない。安心してくれ」
 「……前線、でありますか」
 「ああ、強制捜査課の通称だよ。強制捜査課はどうしても、軍人じみた真似をすることが増えるからね」
 「失礼ですが、すると、担当官殿は」
 志願者以外の配属されない部署に勤務する、A級観測官。ということは、つまり。

 「本部勤務はずいぶんヒマだったから、志願したんだよ」

 それがなにか?と続けそうな口ぶりに、ガンザーの武ばった顔には何ともいえない色が浮かんだ。
 自ら望んで殉職の危険を冒したというのに、なんなんだこの能天気ぶりは。
 とてもではないが、真似できるものじゃないな。自称平和主義者のアレックスは、そんな事を考えていた。


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