平行時空冒険譚:確率都市 〜The Axis Hoppers〜

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Intermezzo:爪牙不還

 その声はあまりにも、記憶の向こう側のそれにそっくりだった。
 「なんだ、来てたんですか」
 そう背後から声をかけられて、横田はゆっくりと立ち上がる。
 そして一瞬の間をおいてから、振り返った。
 声の主を見て、墓参にしてはずいぶん崩れた格好だと思うが、それはお互い様だろう、と思い直す。横田自身もスラックスにジャケットと言ういささかカジュアルないでたちだから、藤吾郎の服装にどうこう言える筋合いでもない。
 「ああ。今年は閑があったからな」
 線香の静かな香りが、どこかで啼いている鳩の声とひどく対照的だった。
 「たしかにここのところ毎年、忙しかったですしね」
 「おまえと組んで五年か。久三郎が亡くなって……」
 「茜の時間で十四年です」
 父親と同様にあちこちの時間線を飛び回る藤吾郎の上を過ぎていく時間は、世間一般のそれとは違っている。一般人に近い妹が基準になるのも、無理は無いだろう。
 あるいは、妹の成長に感慨でも抱いているのか。
 「過ぎてみれば、あっという間だな」
 「そうですね」
 「おまえも三〇過ぎたか」
 「立派に中年のオッサンですよ、私も」
 それきり、会話は途絶える。しゃがんで菊の花を供え、父の墓前に手を合わせた藤吾郎の邪魔をする気は、横田には無かった。
 見るともなしに眺めた藤吾郎の背中は、あの時に比べてずいぶん頼もしい。目の前で父を失い、遺品のショートロッドを抱えて嗚咽した少年のか細さはとっくに消えうせて、亡き父に似た威を感じさせるそれになっていた。
 「親父も、まさかあなたと私が組むとは思わなかったでしょうね」
 お義理で手を合わせただけ、としか思えない素早さで顔を上げた藤吾郎が、振り向きもせずに言う。
 「それ以前に、おまえが監視局に入るとは思わなかっただろうな」
 「まあ、たしかに」
 答えてから、藤吾郎はよっこらせ、と年寄り臭い声をかけて立ち上がった。
 「なんだ、爺臭いな」
 「そりゃあ中年ですから」
 「開き直るな、その年で」
 たしかに中年と呼べる年かもしれないが、まだ三五にもなっていない。だいいち、年寄り臭いことを言ってはいるが、生身のくせに重戦闘サイボーグ相手の白兵戦訓練が出来る男である。並の若者より身体能力でも勝っているだろう。
 だというのに、
 「なれない事をやって筋肉痛になる年なんですから、オッサンでいいんです」
 首をコキコキと鳴らしてみせる藤吾郎は、いつもと変わらないとぼけぶりだった。
 昔は素直すぎるほどに頭の良さを見せていた少年だったが、いつの間にやら狡猾な男に成長している。さて久三郎がこれを見たらなんと言うだろう、と意味も無く考え、横田はふとある事を思い出した。
 「なんですか、いきなり笑ったりして」
 「ああ、いや、久三郎の事を思い出してな」
 「含み笑いなんて不気味ですよ」
 「失敬な奴だ。ん、もう戻るか」
 「先に行ってます」
 軽く手を上げてから歩き出した藤吾郎を見送り、横田はかつての相棒が眠る場所に目を戻した。
 がむしゃらに突進するだけだった横田を抑え、強制捜査官にしては珍しく慎重な行動を得意とした久三郎。年齢以上に年寄り臭いと仲間にからかわれていたが、それでも妙に分別臭い笑顔で、そりゃあ年だからねと返すばかりだった。
 当時の久三郎は、まだ四〇台前半だったはずだ。
 「韜晦するのが得意なところまで、似たわけですか」
 墓石が答えるはずも無いが、横田はそう呟いていた。
 「あれも随分、苦労しましたからの」
 答えが返るはずの無い呟きに、年老いた声が返す。
 土を踏む足音は、墓地の奥から聞こえてきた。
 「……昌道殿」
 ゆっくりとした足取りで現れたのは、久三郎の大叔父、御舘家の長老である老人だった。
 「雅之は父に似ているとお思いか、横田殿」
 「はい」
 「篤之に比べて、ずいぶん落ち着きの無い子供と思っておりましたが」
 「いつまでも子供ではありますまい」
 「左様でありましたな」
 昌道はうなずいた。
 だが、それ以上はこの話題に触れようとしない。それはあるいは、流れる時間の違う横田に配慮したのかもしれなかった。
 「わざわざ墓参に参られましたか」
 当たり障りの無い会話。昌道の問いに、
 「だいぶん、ご無沙汰でしたので」
 そう、横田も簡潔に応じる。
 「先に来られたのは、戻っておいでになった年でしたな」
 「そうでした」
 久三郎が死亡して一時間もしないうちに、時空遷移弾の処理を誤って自らもロストしたのは、苦い思い出でしかない。あの時、横田が出遅れる事がなければ、久三郎が藤吾郎たちを庇って死ななければ、あの遷移弾も久三郎の手で無事解体されただろう。
 一瞬の判断ミスが相棒を死に追いやり、さらに多くの市民を巻き込んだ。
 長いときを経ても、この記憶は横田の心に突き刺さる棘のままだった。
 「横田殿、篤之は十分にお役目を果たしました」
 皺深い顔の中で老いてなお鋭い昌道の目が、横田に向けられていた。
 「あれも寿命と、そう心得るべきですぞ」
 「なかなか、そこまでは」
 割り切ってしまうのは、自らの罪に背を向ける行いでしかない。
 「なるほど、横田殿もまだお若いのですな」
 どう答えるべきか。そう逡巡した時、墓地の下あたりから誰かの呼ぶ声が聞こえた。
 お茶が入りましたよ大じいちゃん、横田さんも休んだらいかがですか?
 そう叫んでいるのは、藤吾郎の従妹だろう。
 「さて、沙耶も落ち着きの無い娘で、困ったものです」
 昌道は視線を和らげ、くるりと横田に背を向けると、確かな足取りで坂道を下り始める。
 またどこかで鳩が啼くのを耳にしながら、横田も照り返しのきつい道へと足を踏み出した。


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