平行時空冒険譚:確率都市 〜The Axis Hoppers〜

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第二話:新年の風景

 
 正月の明治神宮といえば、大混雑と相場が決まっている。

 しかも一月一日午前零時ともなれば、参拝客が長蛇の列を成しているのが常のこと。だから
「本気で行くのか?」
 そう、御舘雅之が怪訝な顔をしたのも、無理はないことだったが、
「嘘でこんなこと言うわけないじゃん」
 と、茜は平然と言ってのけた。
「ものすごく混んでるぞ?」
「だからそれ見に行くんだって」
「物好きだなあ」
 大掃除を終えてさっぱりした部屋の中で、コタツにあたってぬくぬく年を越したい兄は、いささか年寄り臭い感想を述べた。
「行っていいでしょ?」
「誰か連れがいるならね」
 いくら大学生になったとはいえ、年頃の娘だ。夜の一人歩きはさせられない。
「亜紀と行く」
「亜紀君の家はそれでいいのか?」
「今年は喪中だから、いつものお年始はしないんだってさ」
 そう言いながら、出かける準備を始める茜に向かって
「手袋とマフラー、持って行けよ」
 と、雅之は声をかけた。


 都内の通常防寒装備で、3時間もの待ち時間は辛い。
「ざ〜ぶ〜び〜」
 と呟く声は、同じように列を作る若い女性のものだった。
 ニットキャップとダウンのジャケット、ニットの手袋を着用している女性だが、足元のブーツもボトムのスカートもけして暖かいものではないだろう。恥も外聞もなく鼻声を出したところで、まあ無理はないというものだ。
「着てきて正解だったね」
「でも微妙に寒いかも」
 そう話す茜と亜紀は、そうは見えないがしっかり着込んでいた。
 亜紀の母親からは保温下着を着ろと言われ、雅之からは首と手を保護しろ、防風性能のある上着を着て行け、と勧められていたが、中年のアドバイスもこういう時には役立つものらしい。

 それでも、ゆっくりとしか進まない列の中にいると、足元から冷えが上ってくる。
 細かく足踏みをして、冷えて感覚の落ちてきた足を暖めようとすること一時間。
 それでも足りなくなったのか、亜紀はバッグから使い捨てカイロを取り出した。
「なにそれ」
「お父さんが、持って行けって言って、くれたの。使う?」
 靴用のカイロだから、使えば冷えもだいぶんマシになるだろう。しかし問題が一つ。
「靴脱いで貼らないと駄目なんだ」
「うん。でも、この進み具合なら何とかならないかな?」
「あ、たしかに。先に貼っちゃえば?二人で揃って貼ってると、なんか間抜けてるし」
「ありがと〜」
 いそいそと靴を片方脱いだ様子から見ると、よほど足が冷えているのだろう。
 カイロを小袋から取り出して貼り、靴を履きなおそうとして、亜紀の手が止まった。
「あ」
「何?」
「あれ」

 亜紀が視線で指した先に、ちょろりと動く影があった。

「なんだ、トカゲじゃん。早く靴履きなよ」
 促すと、亜紀はまたもとの作業に戻ったが、靴を履き終えても首をひねっていた。
「どしたの?」
「あのさ、マイクロピボットからトカゲが出てくるって事、あると思う?」
「え?……あ」
 そもそも今は冬だ。トカゲがちょろついているはずもない。
 その事に気がついて、茜は思わず亜紀と顔を見合わせた。
「もしかして、ありえるってことじゃない?」
「それってもしかして、まずくない?」
「変な病原菌とか持ってたら、まずいよね」
「バイト始めに、あれの回収とか手伝うのかなあ?」
 東京支局観測班の仕事は多岐にわたるが、その中には危険生物排除のサポートも含まれていた。
 つまりこの場合、寒空の下のトカゲ狩り。

 あまり歓迎したい仕事ではない。

「うっわー、イヤ過ぎ」
 少し動いた列からあのトカゲを探してみたが、むろんトカゲはすでに影すら見当たらなかった。
「あのさ、茜。こういう場合って、なんか決まりあったっけ?」
「すぐ連絡入れる事になってる」

「……見なかった事にしたいんですけど〜」

 亜紀の感想は実に素直だった。
 誰だって、元旦の午前1時からバイトをしたくはない。
「とりあえず、あとで思い出す事にしない?」
 今は見た事を忘れるとして、この行列を抜け出してから『思い出せ』ばいいんじゃないの。
 欺瞞に満ち溢れた茜の提案は、いともあっさりと受け入れられた。


『よりによって、なんてところに出現するんだよ……』
 電話の向こうで呻いたのは、不運の星の下に生まれたと囁かれているアレックスだった。
 新年とは冬至の日、というのがアレックスの故郷の習慣だから、新年に休みたい日本人スタッフを休ませるために、この時期には割りを食うことになっている。だから大晦日も出勤し、そのまま支局でカップ蕎麦の年越しをしたところだった(ちなみに「日本の年越しはコレよ!」と言ってカップ麺を押し付けたのは、総務の遠藤だった)。
「アレックス、頑張ってね。一生懸命応援したげるから」
『支援してくれるってことなら、いつ来る?』
「誰も支援するなんて言ってないし。旗振って応援だけするよって事」
『ひどいなあ』
 アレックスはスピーカーモードで話していたのだろう。電話の向こうで、爆笑する観測班夜勤組の声が聞こえていた。
「それに、そのマイクロピボットもう消えちゃったし」
『トカゲはどこかに逃げたんだよね?それじゃ仕事は減らないよ』
「この寒さで、そう遠くまで行けたとは思えないけど。どうだろ?」
『うーん……対応、考えてみる。じゃあ、また後で』
 アレックスはあっさりと電話を切り、茜は携帯をバッグに放り込んだ。
 そこへ
「甘酒、買って来たよ〜」
 と、湯気の立つ紙コップを両手に、亜紀が戻ってきた。
「ありがと」
 受け取ると、暖かさが手に嬉しい。
「アレックス、なんて言ってた?」
 熱い甘酒を吹いて冷ましながら、亜紀が聞く。
「検討してみるってさ」
「ふーん。あとで電話して、ペットのトカゲが逃げ込みましたけど見ませんでしたか、って聞くのが早そうだよね」
「捕まるかなあ?」
「こんだけ寒いと、トカゲって凍死しない?そしたら拾えるよ」
「本当にトカゲなら、そうだけどさ」
 温血で寒い地方に住んでいる動物なら、この程度の寒さで死んだりしないだろう。

「まあ、何とかするのはアレックスだから、いいか」

 ノホホンとヒトデナシなことを呟いた亜紀に、茜はとりあえず同意する事にした。


後日。
その『トカゲ』は明治神宮の落ち葉の中で息絶え、そのまま堆肥と化したのであるが、それは東京支局の誰も知り得なかった事実である。


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